日本には5月5日に、鯉のぼりを飾るという風習がありますが、どうしてコイが屋根より高く空を泳ぐようになったのでしょうか。今回は、鯉のぼりについてのお話です。
なぜ5月5日にコイを風にたなびかせるようになったのか。
鯉のぼりを「鯉登り」だと思っている方もいるかもしれませんが、本当は「鯉幟」と書きます。つまり、コイの形をした幟(のぼり)です。平安時代頃から端午の節句(旧暦の5月5日)に、宮中で菖蒲を用いて薬玉を作る行事があり、鎌倉時代には菖蒲が尚武(武事・軍事を尊ぶこと)と同じ音であることから、男の子の節句となったと考えられています。端午の節句に武家が幟を飾っていたものを、江戸時代中期に町人が真似するようになりました。その町人の間で、武家が端午の節句の幟の先につけていたマネキと呼ばれる武士絵などが描かれた幡(はた)を鯉の形に変えたものが流行るようになりました。鯉のぼりは、神霊の招代(おきしろ:神様が降りてくるための目印)や依代(よりしろ:神霊が現れた際に宿るもの)と考えられるようになり、当時の人々は鯉のぼりに降りた神霊によって子どもたちを守ってもらおうと考えたようです。ちなみに、旧暦の5月5日は現在の6月中旬、つまり梅雨の真っ只中であり、こいのぼりは雨の日を狙って飾るものだったといわれています。
町人が、武士絵の代わりにコイの絵をつけたことについては、中国の故事、登竜門にちなんだと言われています。登竜門とは、成功のための関門を突破したことをいうことわざであり、山西省の黄河上流にある龍門という名前の急流を多くの魚が登ろうとしたが、その中で登りきった魚(コイ)だけが龍になったという伝説からできたと考えられています。つまり、激流にも屈せず川を登りきった稀有な才能を持った存在だけが、登竜門(関所を突破した)を達成したとされ将来の出世が約束されるということを意味します。そのため、コイは立身出世の象徴であるとされました。
コイは激流を登れそうなのか?
ここで気になるのは、コイの川を登る能力です。コイが生息するのは、流れが穏やかな川や、池や湖などの止水域です。しかも、成長するにつれて浅瀬から深い場所に移動し、大きくなると春から初夏の産卵時以外は流れのあまりない深みにひそむような生活をします。つまり、生涯に渡って川を登るような行動をとる時期はありません。
ということで、魚の習性を考えると、立身出世を願うのであればサケかマスあたりを掲げるほうがご利益がありそうです。