人に作られ、人のそばで暮らすドバト

2022年4月30日 ALL生物

ドバトは日本人にとって最も身近な鳥の一つですが、他の野鳥とは異なり、ヒトによって作り出された生き物です。一度自然淘汰の世界から外れた生物が、どのようにして再び野生で生き残り、子孫を残し続けているのでしょうか。

ドバトとは?

ドバト

ドバトは、ハト科カワラバト属カワラバトColumba livia という種の飼養品種に付けられた名前です。スズメやカラスなど他の多くの野生で見られる種のように自然環境下で進化した種ではなく、人が改良した品種が、野生で生き延びて繁殖にも成功しているのです。通常、人為作出の品種は自然界では生存に不利な形質を有していることが多く、野外で生存・繁殖出来ないことが多いです。ドバトはどうやって野外で生息しているのでしょう。

ドバト

人為作出されたため、野生種に比べカラーバリエーションが多い。

どうやって品種改良されたカワラバト(ドバト)は、野生で生きているのか。

生物が野生下で生き残るには、食べ物が得られること、天敵に襲われないこと、巣が確保できることが重要です。ドバトは、人に頼ることによってこれらすべての要素を達成しているといえます。

都会で食べ物を得る

まず、食べ物については、主に人の餌やりに頼っていると考えられています。

ドバト

ドバト

ばらまかれた餌に群がるドバト

源平合戦でハトが現れると勝利したといわれたことから、ハトは平安時代末期頃から八幡神社の神(勝利の神)の使いとされ、神社での餌やりが奨励されました。のちに武家社会で八幡神社が広がると同時にハトも日本中に広がったと考えられています。現代もドバトがいるところは、餌をやる人が居る公園や駅などが多いです。近年は、都市部を中心に餌やりが禁止されるようになり、ドバトも減少傾向にあるようです。

巣として適した場所だらけの都会

ドバトは、少なくとも奈良時代には天皇に献上されたという記述が続日本紀に残されており、愛玩用として飼われることがあったようです。平安時代、鎌倉時代には、皇族や貴族も愛玩用に飼育していた記録があり、鎌倉時代に京都の朱雀門に野生化したと考えられるドバトが営巣していたという記録も残っているようです。

ドバトの原種であるカワラバトは、もともと崖のような場所に営巣する種でした。昔は寺社にしかなかった五重の塔などの高い建物が、ドバトにとっては崖の代わりとなり、営巣場所として利用されてきました。そのため、寺社仏閣は餌場でもあり、営巣場所でもあるドバトにとって願ったり叶ったりの場所だったようです。ドバトという名前も江戸時代に「堂鳩」と呼ばれていたことが由来だと言われています。


近代化に伴って背の高い建物が街中の至るところに作られたことで営巣できる場所が格段に増えた事が、街中にドバトがより進出する要因になったと考えられています。近頃分布を内陸部に拡大しているイソヒヨドリも崖に営巣する種ですが、高層建築物に巣を作るようになったことで分布域を拡大していると考えられています。崖の代わりに高層建築物を使うのは、ドバトに限ったことではないようです。

鳥よけ

鳥よけネットが張られた建物

天敵が少ない都会

ハヤブサ

ハヤブサ

人が住む都会では、野生下に比べると鳥の天敵となる動物が少ないため、ツバメのように積極的に人家近くを利用する野鳥もいます。ドバトにとっても、都会の公園は他の猛禽に襲われる心配が少なく、逃避能力が多少低くても生き残りやすい環境だったと考えられます。しかし、最近はオオタカやハヤブサなどの猛禽も都会に住むようになりました。彼らはドバトを餌にすることもあります。そのため、ドバトにとっては、都会も安心していられない場所になりつつあるのかもしれません。

[参考文献]
柴田佳秀. (2022). となりのハト 身近な生きものの知られざる世界. 山と渓谷社.