2019年5月7日に生物多様性に関する初の地球規模の報告書がパリで開催された「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム」(IPBES)の総会で承認されました。
この報告書は、50カ国、145人の専門家が執筆に関わりました。報告書によると、現在地球に生息していると推定される動植物種800万種の約10%に当たる約100万種の動植物が絶滅の危機に瀕しており、現在の絶滅のスピードは、過去1000万年間の平均に比べて10〜100倍以上とのことです。
この地球規模の生物多様性の喪失の原因は、人の土地改変、天然資源の利用、気候変動、汚染、外来生物の侵入が約90%を占めると推測されています。特に、サンゴ礁は、海水の温度が2度上昇すると99%死滅するため、近年の温暖化の影響で顕著に減少しています。また、汚染に分類されるプラスチックゴミの増加も、海洋生物に多大な影響を与えていることが、取り上げられています。
ここでは、生物多様性の維持がどうして人間にとって必要なのかについてまとめてみたいと思います。
- 生態系の現在のバランスが崩れるリスクの回避
ある生物の存在がその生態系にどのように関わっているのか、人間が理解しきれていないため、現状維持をしておいた方が良い、という考え方があります。分かったような、分からないような、なんとも釈然としない話ではありますが、生態系は非常に複雑で何がどう関わるのか把握することが困難です。それをむやみに改変するのは危険なのです。
森を食べるシカ1, 2に詳しく書きましたが、日本の森林でも、もともとの生態系のバランスが失われたことによって、とんでもない事態が起こっています。日本のシカの過剰な増加の原因は、オオカミがいなくなったから、造林を行ったからなど様々な説があり、定かにはなっていませんが、人為活動によるものであるだろうということは、多くの研究者が同意しています。美しい植物や、さまざまな鳥の鳴き声を楽しめる豊かな森林は、多くの日本人が知らないうちにどんどん少なくなってきています。また、増えすぎたシカによって、農作物への被害も増加しており、経済的な損失も大きくなってきています。この他にも、河川の汚濁や、訪花昆虫の減少に伴う植物の受粉率の低下などの問題も今後顕著になってくる可能性があります。
このようなシカが爆発的に増えるという状況は、実際に起こるまで全く想定されていませんでした。そして今その状況に対処する術が見つけられないまま、森林は荒廃の一途をたどっています。このような予測不能な事態が、生態系のバランスが失われることで起こる可能性があるため、予めそのリスクを回避することが重要です。そのためには、生態系内の種構成に大幅な改変が生じないようにすることが大切です。
- 人が生きやすい環境の指標としての生物多様性
毎日、エアコンで調節された心地よい部屋で暮らし、台風が来ても、たいていは、窓を一枚挟んで外は大変なことになっているねぇ、なんて、他人事のようにしていられるのが、現代の先進国の多くの人間の生活です。一歩外に出ても、コンクリートで固められた地面、人が住むために建てられた家やビル。確かに、多くの人は、自然と呼べるものから隔離され、自分たち人間が生きる世界は、人間さえいれば作り上げられるのだという錯覚に陥りがちです。ですが、本当は違います。スーパーにあふれる食べ物は、微生物の複雑なバランスによって支えられた土壌で育った野菜や穀物、その野菜や穀物などを食べる家畜の肉や卵、海を泳いでいた魚などです。私達が生きる糧はすべて、他の生物と関わっています。食べ物だけでなく、身の回りの多くのものが、生物がいなければ作り出せないものです。生物である私達が生きていくためには、他の生物を利用せざるを得ません。私達は、生態系と無関係に生きていくことは決してできません。多くの生物が絶滅していくような状況は、私達の生きる糧を供給する環境が、変質していく状況であることを意味しています。海の生態系が改変されると、思ったように魚は育たず、海や川が汚染されると、汚染された魚を私達が食べることになります。生態系の高次にいる魚に水銀が高濃度に蓄積しており、それを食べる人間にも有害な影響がでることが心配されているのも一つの例です。現在絶滅の危機に瀕している生き物の多くは、もともと個体数が少なかったり、生息場所が限られていたり、人に好んで捕獲されたりしてきた生き物かもしれません。しかし、そうやって少しずつ生態系を改変していけば、私達人間が大打撃を受ける順番もやってくるかもしれません。
また、生物多様性について考えるとき、多くの人が失われた森林、そこに生息している”いきもの”たちのことを考え、自分とはほとんど関係のない世界のことだと感じるかもしれません。しかし、今回の報告でもあるように、生物の絶滅の原因と推定されている要因の中には、地球温暖化や汚染、外来種の侵入も含まれています。生息環境の変化によって個体数を減らしている生き物は、直接的に人間に住処を奪われた生き物だけではないのです。すでに野外に放出されている発がん性物質が多くの人に悪影響を与えているかもしれません。生物多様性が失われつつある地球は、人にとっても生きにくい環境になっていっていると考えられます。そういった意味では、生物多様性の喪失は、人が生きる環境の悪化の指標と捉えることができます。生物多様性を守ることは、可愛そうな生き物を守るための慈善活動ではなく、自らが生きる環境を守ることだという視点が大切です。